6.11.2015

New Born

5月29日、19:59に3388gの大きな女の子が誕生した。
ここには、すでに産後二週間経って薄れ始めた妊娠と出産の記憶を
備忘録として私自身のために記しておく。(二人目のために)


―妊娠 備忘録―
昨年9月末に妊娠がわかり、10月頭には切迫流産気味とのことで安静を言い渡され、
仕事を全て停止した。すぐに悪阻が始まり、産まれてこの方、病は風邪くらいしか体験したことがないという健康体、
そして、嘔吐恐怖症から、お酒も二日酔いにはならない程度にとセーブをしてきたし、
三半規管が弱いことから乗り物(特に船は一生乗らなくてもよいほど)にも気を使って生きてきたことから、
自分の意思と無関係に気持ちが悪くなるという経験をしてこなかった。
けれど悪阻は自分の意思とは無関係にやってくる。12月中旬の安定期に入るまでだったから、
二ヶ月間の軽いものだったのにも関わらず、私にとっては辛い日々だった。
けれど、絶対に吐きたくないという強い意志の元、その波がやってくると太ももの内側をつねり続けて意識を痛みに持ってきたりと、
自分なりに工夫をして、何とかやり過ごした。

安定期に入ってからも、出産のその時まで口の中に酸っぱさや違和感を常に感じ、
酸っぱいもの(果物、ヨーグルト、酢の物、、)が全て駄目になった。
そして、心から食べたい!という欲求がなくなったのだ、、
ハッピーマタニティライフとは一体?早く出産をして、元の体に戻りたいと思っていた。

12月中旬から4月末まで、仕事を無理ない程度に再開した。
私にとっては、仕事をしている方が気持ちが整い、色々な人と話すことで気持ちも落ち着いた。
とにかくストレスのない日々を送っていたし、たくさんの人に温かい声を掛けてもらい、
妊娠というものが、どれだけ当たり前ではなく奇跡のような出来事なのだろうと思った。

産休は出産予定日一か月前から。
とても気持ちの良い季節で、毎日の散歩が日課に。
主には夕方の森林公園、検診の帰りにはランチを兼ねて元町などへ。
そして、後半はエレーナへモーニング+散歩が楽しみになった。

季節柄、薄着になったのと同時に臨月を迎えたので、その大きなお腹はとても目立っていたよう。
自分でも、その姿は愛らしいとさえ思った。(残りが見えているからこその感情だと思う)

妊娠は本当に体と心に伴った期間になっていると思う。
赤子の体の機能が全て整い、お腹の中で窮屈になった時に、母も同時にもう出ておいでーと思う。

生理痛のような続く痛みが夜中にやってくるようになるが、気付けば寝てしまうほど。
お腹が下がってきたような感覚もなく、夜中にトイレへ行くとしても一回。
きっと予定日を過ぎるだろうなと思っていたのだが、
予定日前日27日の朝方、噂の「おしるし」がやってきた。
もしかすると、翌日28日の主人の誕生日である予定日に産まれてくるのかも?という期待、、


―出産 備忘録―
27日の夜から、今までの生理痛のような続く痛みから、間隔のある痛みへと変わった。
けれど、まだ我慢できるほど、といっても寝ることはもうできない、、
一睡もすることなく、28日の検診まで我慢をすることにした。
朝10時、入院準備をして、クリニックへ主人と向かう。

NSTと内診の結果、強い張りはあるものの、出産に繋がる陣痛は間隔的でないと
いけないとのこと、そしてこの時点での子宮口は1㎝、、
念のために入院をして、もし翌朝になっても出産に繋がらなそうだったら、
また考えましょうと言われるが、私としては、この痛みで帰されるのは勘弁と思った。

すでに痛みは私としてはかなりのもので(腰と子宮が相当に痛いので、
大きなビーズクッションを借りて背中に置き、波が来ると、
マッサージ棒を雑巾しぼりのようにギューッと握りしめていないと
耐えられない。腹式呼吸で逃していた。この痛みは後のことを考えると、
痛いの内に入らないほどなのだけれど、、)、
けれどやはり翌日29日朝の診察で、お産に繋がる陣痛にはなっていないと言われ愕然とする。
先生に、このまま自然に陣痛の波が来るのを待つか、促進剤を打つかの選択を迫られる。
気持ちとしては、自然に身を任せたかったが、この時点で2日寝ていないので、
この先体力が持つのかどうか不安になる。自分では判断がし兼ねるので、産婦人科の叔父に
アドバイスを求めると、早い内に促進剤を使うのが良いとのこと。
先生いわく、促進剤は魔法の薬ではなく、本来は自分の持っている陣痛を引き起こすための
同じ物質を入れるので安心だとのこと。

29日の13時から陣痛室に移り、促進剤の点滴を入れ始める。
30分に10ccごと入れていくのだが、みるみる波がやってくるようになる。私には効果テキメン!
最初は今まで耐えていた位の痛みが山のピークとなり、NSTのグラフの波は緩やかなものだったのだが、
促進剤を増やしていくごとに、その痛みは今までとはとても比べられないものとなった。

痛みが来ると机に向かって前のめりとなり、最初は両手で机の淵を握りしめていただけ
だったのだが、それではとても耐えれなくなり、左手は机の淵、右手は枕を握りつぶすようになる。
その後は、驚愕の痛みとなると右ふくらはぎを爪で握り掴み、全身を痛みで振るわせて
悶絶していた。(声は出せない、、)息をゆっくり吐いて吸ってと言われるが、とてもできない状態。
主人が到着してすぐに腰のマッサージをしてもらうけれど、痛みが強すぎて何も感じない。

この時点で5時間痛みに耐えていた。(よく耐えられたなと思う。)
子宮口の開き具合の確認のために寝転がると、その痛みが来ると、助産師さんに肛門を
グッと押してもらわないと耐えられない。そして、何かに掴まっていないと、どうにかなりそうで、
ベッドの柵を持ってきてもらう。ここに来て、その痛みはピークに。
柵を上半身全てで必死に掴まり、今まで驚愕の痛みが来ようとも決して声は出さずにいたのだが、
子宮の大きなうねりに体をどこかに持っていかれてしまいそうなことと、息がもうできなくなりそうで、
自分の意思とは真逆で、その痛みの波の時だけ、信じられないような声が出てしまう。
もう羞恥心を捨てるしかない。この時点で主人には部屋を出ていってもらった。
この姿や声を聞かせたくなかったから。(主人は部屋で私の夕飯を食べに、笑)

前日、やはり陣痛室から苦しむ人の声を聞き、怖くなり、助産師さんに、皆あんなに声を出すのか聞いたところ、
あそこまで痛みがいかないと産むことはできないよ。と言われたことを思い出す。
あの人の声を聞いていたから、恥ずかしさがすぐになくなったのかもしれない。

先生がようやく登場し、子宮口が全開、分娩の準備をしてと!やっと!やっとだ!
もうすぐに産めるんだ!!と思ったものの、分娩の準備をするのに、横の分娩室に
連れて行ってくれる気配がない、、一体なぜなのかを聞くと、赤ちゃんを守っている膜が強すぎて、
破水がしていないと、、ここから、陣痛の波が来ると、必死で破れるように息んだ。
でも破れない。もう一時間くらい、悶絶している、、

ようやく分娩台へ上がることができた!
見学の時は恐怖の場所(手術経験がないので、ドラマや映画の中の世界のよう)に見えたのに、
今となっては天国のよう!
陣痛の波が来ると息む!限界まで息を止めてひたすら!窒息しそうになるが、必死に!
赤ちゃんの頭が見えてきたと!初めに言われたのが「髪がふさふさ!長い!」だ(笑)
一刻も早く出したい!と、思ってもなかなか出てこない。波が来ない時は朦朧としていた。

先生が会陰切開をして、助産師さんが子宮口を開き、もう一人の助産師さんがお腹を信じられないくらいの強さで押す、
私が必死に息む。と4人掛かりで最後の山場を乗り越えて、
先生が産まれるよ!下を見て!と言われると、本当にふさふさの黒髪をした大きな赤ちゃんが
出てきた!本当に人間がお腹に入っていたんだというのが正直な感想で、
最初に聞いたのは、指が何本ありますか?だった。ちゃんと5本ずつで心より安堵する。
妊娠中、とにかく五体満足を願ってきた。神様、先祖の皆様、本当にありがとうございます。

主人は立ち合いをしなかったので(しなくて良かった!)、分娩室の外で赤子との対面。
第一印象を聞くと、ブス?と(笑)
赤子は噂通り、羊水の中にずっといたので、浮腫んでいて、ガッツ似だった(笑)
そして、妊娠中に撮った4Dとは全く違う顔立ち!でも、指や手足が長く、スタイルは良さそう。

カンガルーケアをすると、今までお腹の中から感じていた胎動そのものだった。
人間って、赤ちゃんって、本当に凄い。

自分の子供はそれは可愛いと思うのだろうとは想像していたが、その想像を遥かに超えた
愛おしさだ。この感覚は私の人生においては、他には決してないものだった。

主人は妊娠中もずっと(産まれるまで)子どもに対して消極的だったのに、その感情はどこへやら、
可愛くて可愛くて仕方がないようで(主人似ということもあるのだと思う)、デレデレだ、、
女の子であったのも、主人似であったのも意味があったことだと思う。


―産後 備忘録―
産まれた後も色々と処置が続くのだけれど(会陰切開した部分を縫ったり胎盤を出したり)、
普通の状態であれば、まあまあ痛いものなはずだけれど、アドレナリンが出ているのか、
そんなことよりも、赤子のことが気になって仕方がない。赤子は長時間のお産に疲れたのか、
すぐに眠りについた。

私はそのまま分娩台の上で2時間休み、主人が買ってきてくれた、大きなおにぎりを2個一気に
食べた。(痛みがきてからは食事が摂れないでいたので、腹ペコだった)
出産した途端、口の中はスッキリし、梅干しも美味しく食べれた!!

体はボロボロ、汗だくで、部屋には車椅子で戻る。
とにかく今日は寝てくださいと言われ、すぐに爆睡、、、
この日はあまりの疲れで体の痛みよりも睡魔が勝ったのだけれど、翌日からは会陰切開部分の
痛みや全身筋肉痛で、お産でどれだけの体力を使ったのかを感じた。

妊娠時の散歩は私にとっては陣痛には繋がらなかったけれど、お産の体力作りには、
とても必要なものだったと思う。そして、精神的なリフレッシュにもなっていた。

検診の時には短時間しか関わることのない助産師さん達が、お産の時には、先生は診察と
最後の会陰切開の時だけで、その他の全てを何人もの助産師さんたちによってケアされた。
助産師さんたちがいなかったら乗り越えることができなかったかもしれないと思うほど、
とても大きな存在で、改めて、素晴らしいお仕事だなと思った。

とくに、促進剤を打ち始めた時の助産師さんとは産後に会った時に「がんばったね!」と
抱きしめてくれた時、思わず涙してしまった。
そして、最後の山場と誕生の際に付いてくれた方は神様のようだった。
その一言一言がとても大きな支えとなった。

先生たちはもちろんのころ、助産師さんたち、施設、食事、全てにおいて、
このクリニックを選んで本当に良かったと思った。
二人目も(笑)ここで必ず!


<出産時に必要だった物>
・ペットボトル用のストロー
・タオル(汗拭き用でもあり、痛みがある時に握るため)
・マッサージ棒(痛みの最初は腰をぐりぐりと押さえる用)
・タンクトップなどの薄着(痛みでとにかく体が熱くなる)
・うちわ
・手の平で握りつぶせる固いもの